朝ドラファンの方はすでに知っている方も多いのでしょうが、知りませんでした。
高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルとした、神木隆之介主演のNHK朝ドラ「らんまん」の5月8日(月)の放送を何気に見ていたら、東京に着いた槙野万太郎(神木隆之介)と竹雄(志尊淳)が高知(佐川)の子供の頃の学友・佑一郎(中村蒼)と久しぶりに再開するシーンがあったのですが、そこで気になる会話があって、あれ!?って思ったんです。
それは、すっかり立派になった佑一郎君は前年まで北海道にいて、札幌農学校(現在の北海道大学の前身)で土木工学を学び、今は工部省で東京と高崎に鉄道を通す仕事をしていて、荒川に鉄道が通る橋を架けようとしているとのこと。
あれ!?どっかで聞いた話。高知出身…
この佑一郎君の劇中の名字は「広瀬」。広瀬佑一郎という名前なんですが、札幌農学校、土木工学、工部省、鉄道、橋、そして高知出身…、あれ!?この人物って“港湾工学の父”とも呼ばれる「廣井勇」では!?(広井勇との表記もありますね)。
廣井勇(いさみ)が高知出身なのは知っていたのですが、調べてみると佐川の出身で、実際にらんまんのモデルの“日本の植物学の父”牧野富太郎と同郷同級生なんですね。いや〜、知りませんでした。
ちょっと実際に廣井勇がモデルなのか気になって、ネットで調べてみると、高知新聞社に記事にありました。
※朝ドラ「らんまん」の広瀬佑一郎、モデルは高知県佐川町出身の広井勇? 「人が自然と共に生きる助けになりたい」 近代土木の先駆者【web限定・復刻】 | 高知新聞
いや〜、そうだったんですか。で、なんで急にそこんとこが耳に止まって気づいたかというと、廣井勇は私の地元・小樽にとてもゆかりのある人物なんですよね。
廣井勇は小樽港の生みの親とも言われていて、小樽港には手宮側から北防波堤が伸びていますが、第1期工事としてこの北防波堤を建設したのが、初代小樽築港事務所長の廣井勇なんですね。
第1期工事は明治30年(1897年)に着工し、11年の歳月をかけて明治41年(1908年)に全長1,289mの北防波堤が完成します。廣井勇はこれにより、日本人技師として、初めて本格的外洋防波堤の建設に成功することになるんですね。
(北防波堤)
北防波堤の建設に際しては、コンクリートに火山灰を混入して強度を増す方式を考案したり、造られたコンクリートブロックを斜めに積んで安定させる工法を採用したといった点が特筆されていて、100年以上経った現在も、小樽港で変わらず機能しているというのがすごいですよね。
先ほどの高知新聞社の記事には、小樽との関わりについても詳しく書かれていて、とても参考になります。
廣井勇に関しては、明治後期に小樽港を運河にするか埠頭にするかでもめた際、廣井勇の“艀を利用した運河式の方が便利”という発言が、のちの小樽運河建設決定に大きな影響を与えたという話もあり、その影響力の大きさが伺えます。
また、札幌農学校卒業して間もない若い頃の廣井勇は、北海道で最初の鉄道である官営幌内鉄道の小樽〜幌内間の工事に携わっていたそうですよ。
(運河公園には銅像が建っています)
ということで、NHK朝ドラ「らんまん」の学友だった広瀬佑一郎のモデルは、小樽にゆかりのある“港湾工学の父”とも呼ばれる廣井勇だった件について書き留めておきました。
私は朝ドラを欠かさず見ているというほどの熱心な視聴者ではないのですが、今回のことで、今後、広瀬佑一郎(中村蒼)がどう物語に関わってくるのか、なんだか朝ドラの楽しみが増えた感じです。
※広井勇 – Wikipedia
※牧野富太郎 – Wikipedia
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